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うつつ その1
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1997-06-07
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13KB
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76 lines
☆
「とても美しいところ ・・・・・・ 」
死の床で、かの発明王エジソンはそう呟いた。
エジソンは来世を見た、と言った。人はあの世に行っても、単なる傍観者ではなく、この物質世界に何らかの影響を与えると信じていたエジソン。あの世との交信をはかる霊界ラジオの開発、研究に余念がなかったという。数々の発明品を生み出したエジソンの意外な一面、まだ科学がのろまだった頃の懐かしい逸話がそこには見える。
死後の世界は存在するのか?
それを信じるも、信じないも、それはあなたの勝手だ。
☆
僕は死んだ。一度死に、そして、再び生き返った。
これより綴られるはその時の僕の物語だ。
☆
あの日はある大手企業の子会社が依頼した人事管理プログラムの納期間近だった。そういう時にはいつもの見慣れた風景なのだが、誰ひとりとして冗談のひとつも言わず、狭い事務所にはピリピリとした冬の日の静電気のような緊張が走っていた。各自、デスクに置かれたコンピュータに向かい、営業担当(と言っても一人だが)が雑用をこなす。スタッフ一同、時を経つのも忘れ自分の仕事に没頭していた。
僕の務めはソフトを作る小さな会社だ。いわゆる一昔前に流行ったベンチャー企業という奴。少ない資本金と少ない労働力と少ないコネで、風車小屋の引き臼のような運営を取り回している。風はほとんど凪に近いし、風車の羽根は時計の長針が動くよりも鈍い。また、もし良い風が吹いたとしても僕等の手元にある材料ではコップ一杯ぐらいの小麦の粉しか得られないのが現実だ。
かつては僕も大きな会社に席を置いていた。こちらは例えれば、自らが推進力を作り大洋を航海するタンカー。最新の機器を駆使し、目的地にはほぼ寸分の狂いもなくオンタイムで着くことが出来る。けれど、実際に動かしているのは少数で、僕等は精製前の原油、もしくは寄港地までのおもり代わりでしかない。つまり、単なる、その他大勢という訳だ。船長が進路を決め、航海士が舵を取り、僕等は巨大なタンクの中でただ揺れているだけの毎日。
どうしても、僕には水が合わなかった。こっちの胃に穴が開く前に、三十歳の誕生日を迎える前に、僕はタンカーとおさらばした。共同作業は嫌いじゃないが、人間味を摩滅させるような場所は苦痛以外の何ものでもない、とようやく悟ったのだ。
小春日和の眩しい朝、僕は啓示を受けた。ベランダの窓を開け、冷たい風に頬を晒している時にそれは突然、やってきた。朝食を取りながら便箋に一筆したため、そのまま出社と一緒に僕は上司に辞表を手渡した。思い切った決断だった、と思う。原動力は勢いだけだった。
だが、まったくの真っ白な状態でやみくもに辞めたわけではない。胸の中の計画書には針金の土台ほどのプランが書かれていた。それは清書もされていないささやかな箇条書き程度のメモ、実現可能とか不可能とか検討する以前の夢物語。
辞める前に僕は開発部と営業部の知り合い、数人をピックアップし、語らいの場を設け、誘ってみた。
どうだい、僕等で会社を作らないか?
聞く人によれば、悪魔の囁きにも聞こえたろう。すぐさま同調してくれるとは期待していなかったが、ほとんどがふたつ返事でOKしてくれた。それどころか様々な提案をし、立っていることさえ危うい僕のプランに肉付けまでしてくれた。皆、大なり小なり同じような不満を抱え、チャンスあらば打破しようと願っていたに違いない。彼等の奥底に眠っていた夢物語の導火線に僕が火を付けたのだ。
それからのことは奇跡に近い。マネージメント・ゲームのシュミレーションを完璧に操作したとしても、こうも上手くは行かないだろう。予期せぬ問題が天から降ってきて、不運な三角波にぶつかってしまうのが普通だ。が、比較的、スムーズに事は運んでくれた。タイム・イズ・オン・マイ・サイド。時は完全に僕等の味方だった。
銀行、不動産屋、コンピュータのハードメーカー ・・・・・・ 僕等は資金調達と事務所探しと割安の中古コンピュータ購入に奔走し、予定よりもかなり早い、六ヵ月後、古い雑居ビルの一室でささやかな祝杯をあげることに成功した。その日のためにと買っておいたとっておきのシャンペンで。僕等はコルクを祝砲のように低い天井めがけて飛ばした。
準備期間中、それはもう毎日が常にハイだった。脳味噌の皺の潤滑油が切れる暇さえなかった。自分の秘めたる行動力に自ら感服したこともあったし、能力を越えたアイデアに身震いしたこともあった。だが、それが僕の才能だ、という慢りは不思議となかった。僕は自覚していた。すべては縁という名の糸が絡み合うことなく上手く繋がっただけのこと。自分ひとりでは決して出来なかっただろう、と。時が経てば経つほど、それを身に染みて実感するばかりだ。
全員、といっても七人しかいないのだけれど、それぞれの役割分担を持ち、屋台骨を支えている。僕はコンピュータのプログラム作成。事の発端の責任として代表者の肩書きを任っていることになっているが、それは本当に名前だけだ。契約する時のはんこに僕の名前が使われているだけ、というのが真実のところ。経営手腕なんて大袈裟なことに興味はないし、問題が起これば全員で決め、全員で対処することにしている。実際、仕事を選べる立場にない小さな事務所に経営能力はほとんど必要ない。
だから、僕はプログラマー。S・Eが作ったフローチャートをコンピュータの言語に変えるのが僕の仕事だ。人間の言葉からコンピュータの言葉への橋渡し、つまりかっこよく言えば翻訳家だ、と思っている。
まだ始めたばかりに等しいし、軌道に乗るまでたっぷりと時間がかかるだろう。だが、自分のやっていることがそのまま結果に直結しているだけに、またやりがいもあるというものだ。巨大な時計の歯車よりはシンプルな子供の玩具の歯車に、と僕は岐路を決めた。長い目で見れば、賢明な選択である、と確信して。自分が必要とされる場所、それは時に何にも代えがたい心の拠り所だ、と感じられるもの。僕はそう信じている。もちろん、それは今も変わらない。
プロジェクトは最終段階に入っていた。プログラマーとしての仕事は大方、片付いていたから、比較的、僕は気楽だった。その日の僕はバグ探しが役目だった。
バグとは簡単にいえば間違いのこと。マシンにはないが人間にはつきものミス探しだ。プリントアウトしたトイレットペーパーぐらいの長さのプログラムリストを何度もチェックし、曖昧な箇所があると色々な角度からそれを検討していく。用紙の上に並んでいるのはマシンの言語。翻訳が一語でも間違っていると全体のプログラムを破壊することがある。普段は大丈夫でも、何かの拍子にそれがガン細胞のように全体を蝕んでしまう。まあ、時限爆弾みたいなものだ。それを未然に防ぐため入念にチェックする。デスクの上に置かれた緑色の画面を何度もスクロールさせ、キーボードを叩き、プログラムを走らせてみる。
そんなことをしていると、一日はいつのまにか過ぎてしまう。いつ昼食を、夕食を取ったのかさえ思い出せなくなる。いつもは気にしているはずの煙草の本数も今日は何本だか ・・・・・・ 。集中していると、時間は足早に過ぎていくものなのだ。
そんな切りのない仕事に切りをつけたのは日付の変わる少し前のことだった。
何人かの同僚が連れ立って、食料をコンビニエンスストアに調達しに出掛けた。どうやら、それが徹夜を決め込んだ、沈黙の意思表示。思い出したように誰かが窓を開け、紫煙で曇った室内に新しい空気が流れこんだ。僕の前に置かれた灰皿は吸い殻の山を作り、くすぶっている。フィルターの焼ける匂い。今日、何度、からっぽにされただろう。針山のように吸い殻は灰皿に刺さっている。事務所の中が少し長い休憩のような雰囲気になった。誰かが大きな欠伸をし、誰かが軽い冗談を飛ばした。
僕は熱いインスタントコーヒーを入れた。煙草の吸い過ぎか、舌が紙ヤスリのようにざらついていた。デスクの一番上の引き出しから目薬を取出し、僕は乾いた瞳を潤わせた。風景が滲んでいる。グリーンのモニターの文字がぼやけて見える。
帰りたいな ・・・・・・ 。
突如、僕の心のモニターにそんな文字が浮かび上がってきた。別に疲れているわけでも、体調が悪いわけでもなかった。疲労や睡眠不足なんて慣れっこだ。いつも小判鮫のようにくっついている。それにどうせ、ワンルームの僕の部屋には誰も待っていない。別に帰る必要なんてなかった。理由なんて限りなく無に等しい。ただ、僕は無性にベッドが恋しくなった。素肌に擦れる綿のシーツの柔らかな感触。夢と現の間の寡黙な浮遊感。真っ暗な部屋の灯りをつけ、そのまま真っすぐ何も考えずベッドに倒れこみたかった。冷蔵庫を開け、冷えた缶ビールのプルリングを開けることもなく。
モニターの白いカーソルがよく飼い慣らされた犬のようにおあづけの姿勢で、僕の指示を待っている。
結局、僕はコンピュータの電源を切った。そして、同僚の一人に帰る意志を告げた。自由意志が完全に尊重されているオフィスでは、それは簡単に通ってしまう。それどころか、顔色が少し悪い、と忠告される。でも、それは僕だけじゃない。どう見ても、みんな、五十パーセント以下の健康だ。安物の蛍光灯のせいじゃない。かなり疲労が蓄積されているはずだ。
壁に掛けられたネイビー色のコートをはおり、タイムカードを押した。お疲れ様、というねぎらいの別れの言葉を背中に聞きながら、僕は事務所の扉を開けた。
電柱が仄かな灯りをともし、遠近法の構図のように真っすぐ続く細い道路。人影はなく、立っているのは僕ひとりだ。両脇に古い雑居ビルが立ち並んでいるのだが、どういう訳かその夜に限って窓にはひとつの灯りも見当らない。振り返ると事務所のあるビルの階だけが煌々と電気がついていた。罪悪感とすまない気持ち。だが、思いの外、帰ろうという僕の意志をぐらつかせはしない。どちらかというと人付合いのいい僕としては、何故それほどまでに自分が帰りたがっているのか、とても不思議な感じがした。
それが運命といえば運命。ただ、それは後から、全ての事柄が終わり、思い返した時にそう思っただけ。
僕はタクシーを拾うべく、大通りまでの道を歩き始めた。
風にのり大通りから漂ってくる大型車の排気音がここでは何かの虫の羽音のように聞こえた。アスファルトを鳴らす靴音がコツコツとただコンクリの壁の間を響いている。しばらく僕はそんな道を歩き、公園の門をくぐった。
周りを植樹された木々が覆う市民公園。ここを真っすぐ斜めに突っ切れば、そのまま大通りに出れるのだ。ほんの近道。僕は薄暗い公園の中を進んだ。
ジャングルジム、ブランコ、シーソー、鉄棒、すべり台 ・・・・・・ 。点滅する蛍光灯に映しだされた金属玩具は僕の錯覚か揺らめいて見える。風はなかった。そよとも吹いていなかった。いつもはいるはずの浮浪者の姿もない。
?
草むらを黒い影がよぎった。人間じゃない。何かもっと小さなもの。足がすくんだ。落葉の擦れる音。立ち止まった僕の背筋に冷たいものが通っていく。恐怖?その通りだ。反射的に身をかばう本能的な恐怖。悪い想像を掻きたてる奴。僕は耳を立てた。恐々ながら、正体を見極めようと感覚を鋭敏に澄ましてみる。
息を飲む短くて、長い間。
みゃーう。
なんだ、猫か ・・・・・・ 。
ひとりでに安堵のため息が漏れた。強ばった体が柔らかくなっていく。
猫はそんな僕の気持ちなんかそ知らぬ顔で、草むらの中からひょいと出てくる。白い雑種の猫だ。つんとすました淑女のような足取りでこちらに近寄ってくる。
満月の色した瞳孔が光っていた。明らかに焦点を僕に合わせている。僕の目を、憐れむでもなし、羨むでもなし、ただじっと見つめている。
しばし僕と猫は見つめ合った。
ふと、僕の心の中に懐かしい感触が去来する。幼い頃、路地裏で遊ぶ僕を塀の上から見ていた近所の猫のこと。あの猫と同じ瞳だ。何か例えようのない感情を秘めた輝き。哀しみでもなく、苦しみでもなく、でもそれに似た猫特有の目。子供ながらにとても不思議だった。生きものを生きものとして自覚したあの頃のこと。芳醇な香りのする昔の思い出 ・・・・・・ 。僕はさっきの恐怖をどこかに忘れ物した。そして、込み上げてきた懐かしいその感覚に酔っていた。
猫は途中まで寄ってきて、止まり、僕との距離を五メートルほどに保っている。警戒しているのだろうか?自分の縄張りを乱すかもしれない深夜の侵入者を観察しているのだろうか?
僕は何もしないよ ・・・・・・ 。
猫は僕を見上げている。
みゃーう。
にらめっこに飽きたのか、猫は背中を弓なりに曲げ、間延びした声でひとつ鳴いた。猫はぷいとそっぽを向く。まるでそれがスイッチのように、懐かしい感覚は消えた。
早く帰ろう ・・・・・・ 。
我に返った僕はまた歩き始めた。
ほどなく、背中の毛根が動く異物を察知した。目には見えなくとも、夜がレーダーの感受性を増幅し、的確に相手の形が分かる。猫が僕の後をついてきているんだ。一定の距離を保ち、足音もたてずに、息をひそめて。立ち止まり振り返ると、猫も止まった。僕の暗闇に消えそうな薄く長い影のシルエットの先。猫は「だるまさんが転んだ」の姿勢で身動きひとつしない。視線を外し、僕の存在をわざと知らんぷりしている。僕はまた歩き出し、少し進んで、もう一回振り返った。でも、猫は同じ格好。何度やっても変わらない。チェシャ猫のようにニヤリと笑いはしないが、猫は僕で遊んでいた。
僕と遊んでいる。
そんなことをしているうちに公園の出口が見えてきた。出口の前は幹線道路と大通りの交わる四つ角だ。点滅した赤と黄の信号がアスファルトを照らしている。通るのは長距離の大型トラックばかり。
やれやれ、タクシーを待つのに時間がかかりそうだ。これだから都会の深夜タクシーは嫌いなんだ。
出口の寸前、猫はするすると僕の横を抜け、追い越していった。地面を滑るように走っていく。今度は僕が追い掛けた。猫が僕に追い掛けて欲しそうな気がしたからだ。楽しい気分、幼稚園児とお遊戯しているような感じの。
あまり速くない。間隔はみるみる狭まっていく。そして車道に少しかかったところで追い付いた。でも、息が切れた。完全な運動不足だ。ニコチンの摂り過ぎだ。僕はしゃがみこんだ。
荒い息。高鳴る心臓。猫は優雅な仕草で僕の足元に寄りかかり、革靴を舐めている。自分に追い付いたことを褒めるようにいとおしく、いとおしく。僕は肩を大きくゆっくりと動かし、息を整えた。
突然、背後からタイヤの軋む音が聞こえた。僕は振り返る。かなりのスピードで乗用車がカーブを曲がってくる。だが、動けない。金縛りに会ったように動くことができない。
そこからはスローモーション。恐ろしい形相をした運転手。今でも、その顔は覚えている。急ブレーキ。ドップラー効果を伴った長いクラクション。あっという間にヘッドライトが迫ってきた。そして、真綿にぶつかったような軽い衝撃に襲われた。僕は宙を浮く。
あぁ、無重力感。
そして、真っ暗闇。